「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録された12地区の中の一つで、最も有名な通称・大浦天主堂、正式名・日本26聖殉教者聖堂は、1864年(元治元年)の創建で、1933年(昭和8年)には国宝に指定されている。潜伏キリシタン関連遺産に指定された中では、他の教会堂がキリスト教解禁後に日本人の信者の為に造られたものであるのに対し、大浦天主堂は、禁教時代に長崎の居留地に滞在する外国人の為に造られた教会堂であるという点で、例外的である

美しい佇まいの大浦天主堂。禁教時代、居留外国人の為に造られた教会堂でありながら、正面に「天主堂」と掲げたのは、250年続いた禁教令下でも、キリシタンが日本の何処かに潜伏しているのではないかという一途な「期待」からなのか 2020年(令和2年)1月

そして、その期待通り、創建された年に潜伏キリシタンが現れる。キリスト教史では「信徒発見」として喜びを持ってヨーロッパにまで伝えられた一大事であったが、逆に、キリスト教解禁となる1873年(明治6年)より9年も前であった為、この後、名乗り出てしまった信徒には、激しい弾圧・迫害が加えられ多くの潜伏キリシタンが命を落としている 

1865年(慶応元年)に「信徒発見」の記念にフランスから送られたという聖母像。天主堂を創建した事により、潜伏キリシタンを炙り出す結果となり、結局、多くの殉教者を出してしまったという事実。この美しい聖母像も嘆き悲しまれたのであろうか。今回の世界文化遺産に登録により、改めて潜伏キリシタンの信仰や生活に光が当る 2003年(平成15年)11月

天主堂の裏手も美しい佇まいである

天主堂に隣接する「旧羅典(らてん)神学校」は、1975年(明治8年)に建設され、国の重要文化財に指定されている 2020年(令和2年)1月