1997年(平成9年)9月、車で津軽半島を1周する機会があった。旅の途中、津軽で出会った車両達である
五能線陸奥柳田~陸奥赤石間を行くキハ48とキハ40の4連。今となっては懐かしい「弘前色」と言われた国鉄末期からJR初期にかけて五能線で使用されていた塗色である 1997年(平成9年)9月
津軽鉄道は、五能線の五所川原から北に向かって走り、津軽中里で終点となる。太宰治の故郷を走っているので、気動車の愛称も「走れメロス」号とは、何とも安易なネーミング
津軽中里駅を出発した津軽21形102気動車。前年の1996年製で、まだピカピカの新車であった
奥羽本線の川部駅から黒石まで、国鉄黒石線を引き継いだ弘南電鉄黒石線が運行していた。岩木山をバックに走るキハ2100形2107
当時は小坂鉄道のキハ2100形を譲り受けてワンマン運転をしていたが、ご覧の通りの田園地帯ばかりで、翌年3月をもって廃線となってしまった
津軽半島の突端、竜飛崎に着くとゴウゴウと響く滝のような音。下を覗くと海水が渓谷を流れ落ちる水の様に日本海から津軽海峡へと流れこんでいた
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