日本郵船が1930年(昭和5年)に「氷川丸級」として竣工させたのは、「氷川丸」、「日枝(ひえ)丸」、「平安丸」の3隻。氷川神社(さいたま市大宮区)、日枝神社(東京都千代田区)、平安神宮(京都市左京区)の三神社のお名前をいただいて、北米シアトル航路に就航した貨客船である

戦時中、日枝丸、平安丸が潜水艦母艦として徴用されて戦没してしまったのに対し、病院船として使用されていたこともあり氷川丸は戦時下を生き残り、戦前と戦後を合わせると254回も太平洋を横断し、船客数は25,000人を超えているという。解体の危機もあったが、1961年(昭和36年)に、横浜港の山下公園に係留保存となった

一時は結婚式場やビヤーガーデンなどに使用されて荒れ果てていたが、所有企業から日本郵船が買い戻し、大規模な修復をした後、2008年(平成20年)にリニューアルオープンし、2016年には国の重要文化財に指定されている(「日本郵船氷川丸」のパンフレット転載)

氷川丸の操舵室にある舵の後方には大きな神棚。祀られているのは・・・

勿論、神棚には当時から「大宮氷川神社」のご祭神が祀られ、保存船となった後も氷川神社を祀っている。船内の手摺装飾には氷川神社の神紋である「八雲」が用いられている

「大宮氷川神社」の楼門と拝殿。大宮という地名の由来になった神社で武蔵一宮

氷川丸から大桟橋を見ると、氷川丸と同じ日本郵船のファンネル(煙突)マークを付けた「飛鳥Ⅲ」が見える。「飛鳥Ⅲ」は4月にヨーロッパで引き渡され、回航されて6月に母港・横浜に入っていて、7月には処女航海が予定されている