1988年4月29日に函館本線で運転を再開したC62 3号機は、北海道鉄道文化協議会(鉄文協)が所有、運営をしていた。鉄文協の理想は確かに高かったが、経営理念を欠き、やがて、スポンサーのみならずファンも離れていき、残念ながら1995年11月3日をもって運転を終了した
函館本線銀山~小沢間にて 1992年5月
小沢駅を出発して銀山に向かう
真夏の日差しの中、Sカーブを抜けて来た
羊蹄山の沢すじには、まだ雪が残っていた。横からの強風の中、倶知安~小沢間をいく
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- C62 3,函館本線,
1988年4月29日に函館本線で運転を再開したC62 3号機は、北海道鉄道文化協議会(鉄文協)が所有、運営をしていた。鉄文協の理想は確かに高かったが、経営理念を欠き、やがて、スポンサーのみならずファンも離れていき、残念ながら1995年11月3日をもって運転を終了した
函館本線銀山~小沢間にて 1992年5月
小沢駅を出発して銀山に向かう
真夏の日差しの中、Sカーブを抜けて来た
羊蹄山の沢すじには、まだ雪が残っていた。横からの強風の中、倶知安~小沢間をいく