東インド会社による平戸来航は1609年(慶長14年)。その後、オランダ商館が造られ、良好な関係が作られていったが、1637年(寛永14年)に島原・天草の乱が起きると幕府は一転方針を変更し、1641年(寛永18年)には、平戸を閉鎖してしまった事により、30年余りで平戸はその役割を終えている

観光地は賑わっているが、一歩路地に入ると旧道沿いは静かな佇まい 2020年(令和2年)2月

さらに、脇道に入ると時代劇に出てきそうな石段があり、石段に沿って寺院が続く

石段脇の瑞雲寺越しに平戸湾が垣間見える。残念ながら、平戸城は修復工事中であった

瑞雲寺の前から光明寺越しに平戸ザビエル記念教会の尖塔が見える。同じ場所に、仏教、キリスト教混在の平戸らしい風景

光明寺は山門の奥に階段がある

階段を上ると鐘堂(左)と経堂(右)が左右に建つ珍しい伽藍配置

平戸市役所の入り口にある石造りの幸橋は別名「オランダ橋」。オランダの技法により1702年に造られたと伝わる。国指定の重要文化財で素晴らしいのだが、写真でも判るが、すぐ横にどうしてこんな橋を造ってしまうのか理解に苦しむ

幸橋を渡ると幸橋御門