三菱鉱業美唄(びばい)鉄道線(通称:美唄鉄道)は、1972年(昭和47年)に廃止された炭鉱鉄道で、函館本線美唄駅と常盤台駅間10km程を結んでいた
美唄鉄道で唯一残され保存されている東明(とうめい)駅 2009年(平成21年)7月
プラットホームが草に覆われ、嘗ては炭鉱住宅があり乗降客で溢れていた駅とは思えない。1951年(昭和26年)の1日平均の乗車人数は、1,762人であった。この旧・東明駅構内に4110形と同型の「美唄鉄道2号機」が保存されている
国鉄4110形は、急勾配区間用として1914年(大正3年)に川崎造船所で造られた動輪が5軸あるE形SLで、奥羽本線板谷峠越えや、肥薩線(旧・鹿児島本線)大畑(おこば)峠越えに使用されたが、次世代機関車の登場と、電化や新線開通により1950年(昭和25年)には全ての車両が廃車となった
美唄鉄道では、1948年(昭和23年)から1949年にかけて、この国鉄4110形を4輌購入し、以前から三菱造船所に自社発注をかけて製造し運用していた同型機3輌(2~4号機)と合わせて計7輌のE形機関車を有することになった。この2号機は、自社発注した4110同型機である
その後、廃車や他の炭鉱への転出もあり、美唄鉄道廃止時に残った4110形は、自社発注の2号機と4号機のみであった
廃線2年前の1970年(昭和45年)8月、石炭庫に溢れんばかりの石炭を載せて、美唄機関区でまだ稼働中の2号機。
正面のナンバープレートは、まだこの時、四角であった