昭和40年代、自動車の普及が進み、交通渋滞から日本各地では次々と市電が廃止となっていった。広島市でも路面電車の廃止、地下鉄の導入などが検討されていたのだが、1971年(昭和46年)、一転して「路面電車保護」という決断を下す。自動車メーカー「マツダ」(旧・東洋工業)のお膝元だけに英断である。その後、広島電鉄株式会社は廃止となった神戸市電、京都市電、京阪、西鉄等の車両を次々と購入し、「動く路面電車博物館」と言われるまでになった

2000形は、広島電鉄の生え抜き。1963年(昭和38年)製であるが、1974年(昭和49年)に2両編成固定化工事を受けている。撮影した翌年に解体されてしまった2009/2008固定編成 江波(えば)車庫 2011年(平成23年)2月

2008/2009は自社工場で製作された。台車は、NE-30A

2000形は市内線から宮島線直通運転車両として差別化するため、淡いピンク色の塗装となっていた

2007/2006編成も2012年(平成24年)に解体

3100形3101は、1985年(昭和60年)、2輌連接車であった2500形を改造して造られた3車体連接車

3車体連接車を1番号としたため、車番は、前から3101B、3101C、3101Aとなる

中間車の3101Cは、2500形2502の運転席を撤去して製作された

3100形3102編成、3103編成と2000形2005/2004編成 江波車庫にて2011年(平成23年)2月