高校1年生の春休み、世の中が大阪万博で沸き立ち、やれ太陽の塔だやれ月の石だと騒いでいるその時、東京発西鹿児島行き急行「霧島」に乗り九州に向かった。東京発11時10分。下車駅は福岡県の折尾(おりお)駅で、到着時間は翌朝の5時59分。乗車時間18時間49分、車内はごった返しており床に座っている人も多く、殆ど座ったままの一人旅であった

筑豊本線中間(なかま)~折尾間の複々線を行く若松機関区9600形29661 1970年(昭和45年3月)

中間駅を出て小倉方面に直通の列車は、ここで下り線の下を通り折尾駅をスルーして鹿児島本線に入る。クロス部分を走行する直方機関区の半流D51 76号機

下り線の下をくぐって折尾方面に向かうD51 76号機

筑豊のシンボル・香春岳(かわらだけ)をバックに田川線伊田~勾金(まがりかね)間の築堤を行く9600形牽引の石炭列車(機番不明)。香春岳は秩父の武甲山同様に、石灰石の採掘が行われている為、現在は全く山容が変わってしまっている

単機回送で日田彦山線を走行中の9600型29608号機(後藤寺機関区)。伊田駅周辺のぼた山とセメント工場が見える

9600型79600号機(後藤寺機関区)は、直方駅構内を利用して修理後の調整をしていた

直方駅構内で入れ替え作業中の69638号機

伊田駅で出発待ちの田川線貨物列車。行橋(ゆくはし)機関区の9600型39682号機が牽引

39682号機は、キャブ下がかき取られている変形機である

1970年当時の筑豊地区には、多くの国鉄路線が入り乱れ、地区内の移動には路線図と時刻表が必須アイテムであった(路線地図は日本交通公社時刻表より転載)

50年が経過したフィルムの状態は甚だしく悪く、デジタルスキャン機も初期の機器を使用したため劣悪な画像となり申し訳ないが、往時の雰囲気を感じて頂ければ幸いです