高校1年生の春休み、世の中が大阪万博で沸き立ち、やれ太陽の塔だ、やれ月の石だと騒いでいるその時、東京発西鹿児島行き急行「霧島」に乗り九州に向かった。東京発11時10分。下車駅は福岡県の折尾(おりお)駅で、到着時間は翌朝の5時59分。乗車時間18時間49分、車内はごった返しており床に座っている人も多く、殆ど座ったままの一人旅であった
直方機関区を訪ねると若松機関区のD50 140号機が給水、給炭中であった。ご存知の通り、現在は京都鉄道博物館に保存展示されている
筑豊本線折尾~中間(なかま)間の非電化複々線区間を走るD50 140。朝晩の通勤列車は殆ど全てが蒸機牽引の客車列車であった
門デフを装備したD50 90号機牽引の普通列車。当時、D50は若松機関区、D60は直方機関区所属となっていた
複々線を走るD60 33号機。この複々線撮影時にはダイヤグラム、時刻表共に持参していなかったため、どちらから列車が来るか皆目分からず、遠くに立ち上る蒸気機関車の煙のみを頼りの撮影となった
冷水(ひやみず)峠手前の切り通しを行くD50 205号機。珍しく短い貨物を牽引して来た 筑豊本線筑前山家~筑前内野間
久大本線夜明駅に進入するD60 61号機(大分運転所)
キャブと従台車が特徴のD60 中間~折尾間
D60 52号機はヘッドライトがシールドビーム1灯で、何とも寂しい 直方機関区
1970年当時の筑豊地区には、多くの国鉄路線が入り乱れ、地区内の移動には路線図と時刻表が必須アイテムであった(路線地図は日本交通公社時刻表より転載)
50年が経過したフィルムの状態は甚だしく悪く、デジタルスキャン機も初期の機器を使用したため劣悪な画像となり申し訳ないが、往時の雰囲気を感じて頂ければ幸いです
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