高校1年生の春休み、世の中が大阪万博で沸き立ち、やれ太陽の塔だやれ月の石だと騒いでいるその時、東京発西鹿児島行き急行「霧島」に乗り九州に向かった。東京発11時10分。下車駅は福岡県の折尾(おりお)駅で、到着時間は翌朝の5時59分。乗車時間18時間49分、車内はごった返しており床に座っている人も多く、殆ど座ったままの一人旅であった

まだ薄暗い中、鹿児島本線折尾駅を降りると間もなく筑豊本線の列車が折尾駅を出発した。九州に入って初めて見る蒸気機関車は、6時18分発飯塚発若松行き普通列車を牽引するC55 57号機で、いきなり九州の花形機関車の撮影となった。C57の煙で高架の鹿児島本線ホームが何も見えない 1970年(昭和45年)3月

C55 57号機は、1972年(昭和47年)に若松機関区から吉松機関区に転出して日豊本線で活躍した後、1975年(昭和50年)廃車解体されてしまった。デフ(除煙板)の形、大きさ、取付位置等々、バランスの取れた好みの機関車であった 折尾~中間(なかま)間

筑豊では珍しい標準デフ(除煙板)を装備していたC55 19号機 折尾~中間間

1968年(昭和43年)にC55 19号機と共に宮崎機関区から移動してきたC55 51号機。心持ち門デフ(門司鉄道管理局型除煙板)が高く付いている気がするが 直方機関区

筑豊のC55は、全て若松機関区に集中配備されていた

日田彦山線伊田(現・田川伊田)駅から香春(かわら)駅を経て小倉へ向かう普通列車。門デフ装備の行橋(ゆくはし)機関区C11 349

貨物列車を牽引するC11 195号機(門司機関区)。撮影地のメモがないが、撮影の順番から見ると日田彦山線夜明(よあけ)駅付近と思われる。日田彦山線夜明~添田間は2019年(令和元年)の台風により甚大な被害を受け、復旧もままならず廃線が決まった様であり、何とも残念である

1970年当時の筑豊地区には、多くの国鉄路線が入り乱れ、地区内の移動には路線図と時刻表が必須アイテムであった(路線地図は日本交通公社時刻表より転載)

50年が経過したフィルムの状態は甚だしく悪く、デジタルスキャン機も初期の機器を使用したため劣悪な画像となり申し訳ないが、往時の雰囲気を感じて頂ければ幸いです