1970年当時、函館本線と言えばC62であり、特にC62が重連で牽引する急行「ニセコ」は、絶大な人気を誇っていた。そのC62の陰で、黙々と普通列車や貨物列車の牽引に奮闘していたのがD51である
ススキが機関車に被ってしまい、挙句の果てに、羊蹄山がSLの煙で見えなくなってしまった。慌てて撮影していると、こんなことがよくあった
小沢~銀山間 D51 942号機(長万部) 1973年(昭和48年)9月
小沢~倶知安間のD51 598号機(小樽築港)
倶知安を出て比羅夫に向かうと右にカーブして倶登山川(くとさんがわ)を渡るが、残念ながらコンクリート橋 D51 149号機(倶知安)
余市駅を出発するD51 857号機(倶知安)
余市駅で交換待ちのD51 54号機(小樽築港)と入線してきたD51 857号機(倶知安)
余市~蘭島間で42荷物列車を牽引するD51 1153号機(長万部)