1973年(昭和48年)9月、北海道撮影旅行中に国鉄労働組合による順法闘争に巻き込まれた。運休が多くなり撮影列車が来ないどころか、最後は、自分達が鉄道で移動する事すら出来なくなった

前日の「大雪6号」が運休になったため網走に足止めされ、翌日も運休が多く、やむなく湧網(ゆうもう)線から中湧別で名寄(なよろ)本線に乗り継ぎ、名寄に出る事にした。湧網線は、能取(のとろ)湖やサロマ湖の湖畔を走る車窓の景色が美しい路線であった 写真は1971年(昭和46年)8月

途中、元紋別で下車して貨物列車を撮影しようとしたが、これも運休となり、次の貨物列車を待っていると、やがて丘の上に9600の姿が見えてきた

丘の上から絶気で下って来たのは、49699号機(遠軽)。結局、この日撮影できたのは、唯一この列車のみであった

元紋別でディーゼルカーと交換待ち。湧網線も名寄本線も既に廃線となってしまったが、当時は、小さな駅にも待避線があり、この線にも急行の「天都」や「紋別」が走っていた

元紋別駅を発車する49699号機 1973年(昭和48年)9月