1973年(昭和48年)9月、北海道撮影旅行中に国鉄労働組合による順法闘争に巻き込まれた。運休が多くなり撮影列車が来ないどころか、最後は、自分達が鉄道で移動する事すら出来なくなった
やっと到着した宗谷本線名寄駅も順法闘争の真っ只中。SLのテンダーには大きく「ゲバ字」が書かれている。C55の煙室扉にも書かれていたのだろうが、誰かが消してくれたと思われる白い塗料が煙室扉に残っていた
名寄駅には、C55 50号機(旭川)に牽引された稚内発小樽行きの上り普通324列車が到着
C55 50号機の運転席側キャブサイド。製造銘板が付いていない
C55が停車中に反対方向から仁木(にき)発稚内行き下り普通321列車がC57 87号機(苗穂)に牽引されて到着。ドーム後方の重油タンクが勇ましい
名寄駅を出発する普通321列車は、客車2両、荷物車2両の編成。この日はこの2本のみの撮影であったが、ウヤ(運休)が多い中、10分程の間に2本の蒸機を撮れるとは、ラッキーだったのかもしれない
翌日、バスで塩狩峠に向かう。この日も殆どの列車がウヤの中、324列車を牽引してC57 87号機がやって来た。後補機にDD51が付いているので軽々と峠を通過