昭和2年(1927年)、叔父は東京府立第一商業学校の修学旅行で当時の満州を訪れていて、と言うか、祖母からはそう聞かされていた。95年も前の話で本人も既に亡くなっており確認のしようもないのだが、その時の「絵はがき」が確かに残されていて、満州事変より4年前のまだゆったりとした満州が感じられる

絵はがきタイトル:奉天の古蹟 北陵

かつて清朝の都として栄えた奉天(ほうてん、満州語ではムクデン)の北部に清朝初代皇帝とその妻の陵墓がある。「昭陵」が正式名であるが、北陵と呼ばれていた

北陵の正門。皇帝の死去した1643年に着工し、8年後の1651年に完成している

石象と聖徳碑殿。文化大革命時に多くの石像が破壊されたので、この石象も残っているかどうか・・

こちらは隆恩殿。建物は残っていて、現在は「北陵公園」と呼ばれているようだ

正殿前の玉階

北陵を取り囲む廓廊。2004年(平成16年)には世界遺産の「明・清王朝の皇帝墓群」の一部に組み入れられている