「このカメラは、36枚撮りフィルムで72枚撮れるんだぞ!」そう言って友人が持ってきたゼンマイ仕掛けのカメラ。リコー・オートハーフ。使ってみてと言われ、不思議な事があるものだと思いつつ大宮操車場のハンプに押されていく貨車を撮ってみた。素人の現像の悪さも手伝って、写真はとても見るには忍びないものとなったが、50年を過ぎて今見返してみると、何とも珍しい車輛が映っている

ポ167(形式ポ100)は、ポッタリー(陶器)のポからきている記号との事で、陶器車

カ3167(形式カ3000)は、牛などを運ぶ家畜車。カ2000を2段リンクにして改造

ウ700(形式ウ500)。牛の「ウ」だったはずだが、豚積車。豚や羊などの背の低い家畜を輸送するため床が2段に出来ている。端に車掌室のような付添人室があり、家畜の世話をする人間の乗車が出来ていたのが面白い

通風車ツ3057(形式ツ2500)。通風口を閉じて有蓋車としても使用できるタイプなのでツの後に小さくワと標記されている

ワフ21000(形式ワフ21000)は、日本初の鋼製有蓋緩急車。よん・さん・とお(昭和43年10月ダイヤ改正)前なので、まだ使用されていた

車掌車ヨ6000。905両が製造されたが、ヨ5000の廉価版的車両で、車掌の評判は良くなかった様である

ヨ5000の13500番台。ヨ3500を二段リンク化した車両に10000を付加したもので、形式はヨ5000となった。全盛期は1100輌以上が在籍していた

それにしても、D51の写真が1枚もなく、当時は、写っている貨車よりも珍しくない存在だったのだろう。貨車の後ろに立ち上がる煙も全てD51で、何とも勿体ない話である