1949年(昭和24年)、戦時型のD51 1094号機のボイラーを使用して製造されたC61 20号機。青森、仙台、青森と移動した後、宮崎に転出して終焉を迎えた機関車が、何故か縁もゆかりもない群馬県伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地に保存された

「群馬県にC61が保存されているけど、行って見ない?」「何で群馬県?」誘われるがままに訪問した伊勢崎市の遊園地に保存されていた 20号機は、屋根も付けられておらず、大切にされているとはとても思えない状況。テンダーぎりぎりのところに遊園地のモノレールが走っていた 2002年(平成14年)2月

塗装が酷い状態で、いずれは解体なのかと思われた。宮崎転出の際にはずされたシールドビームの台座は付けられたままだった

シリンダーカバーの下部は、かなり朽ち果てている。第2先輪は水かきスポーク

区名札や換算値標示も砲金製。斜めになったシリンダーは動力火格子の揺さぶりシリンダーか?

C61の「10-17S」船底型テンダー。石炭10トン、水17立方メートルと大型機の割にはテンダーが小振りで短い。最後の「S」はストーカー(自動給炭装置)取付車の「S」

密閉キャブへの立ち入りが禁止されていた事も幸いし、部品の盗難等も見られず廃車当時のスタイルを留めてはいたが、如何せん屋根もない事から、傷みが酷かった

このC61 20号機が、D51 498号機の予備機を探していたJR東日本の目に留まった

2009年(平成21年)に突如20号機の動態復元が発表され、2011年3月には車籍が復活した 2012年(平成24年)2月 横川