1970年3月、北九州周遊券を使用して筑豊を周遊した帰路、呉線に立ち寄った。当時の呉線はC62、C59といった大型蒸機が活躍していて、短い時間の滞在だったが、その雰囲気を味わう事が出来た

呉線と言えば蒸機牽引の寝台急行「安芸」。三原~須波間の沼田(ぬた)川橋梁を渡るC62 15 1970年(昭和45年)3月

呉線の印象は、海と迫りくる裏山とその間の細長く伸びる住宅地であり、撮影場所が無いという事である。山が海岸線に迫った場所には単線用の狭いトンネルがあり、大型蒸機は煙をまとって、まるで息が苦しくなって水から飛び出した人の様に蒸気を噴き上げトンネルから飛び出してくる 天応(てんのう)~小屋浦間

後ろに続く客車のデッキも煙が充満している。蒸機はC62 37号機

轟音と共にトンネルを出るC62。まるで火山の噴煙の様だが、ナンバープレートまで見えなくなってしまった

小屋浦駅で広島行き普通列車を牽引するC62の出発シーン。朝夕は広駅から広島駅に向けて15分おきに蒸機牽引の通勤列車が発車していた

50年が経過したフィルムの状態は甚だしく悪く、デジタルスキャン機も初期の機器を使用したため劣悪な画像となり申し訳ないが、往時の雰囲気を感じて頂ければ幸いです