1957年から2012年まで長野電鉄の顔として活躍し続けた2000系。当時、地方私鉄で自社発注の電車を持つだけでも凄いのに、特急車両を自社発注するという事は全く珍しい事であった
長野行き普通電車。2000系は普通列車としても使用された 1977.2 須坂
この年、東急電鉄5000系29輌が長野電鉄に譲渡された。1981年の長野~善行寺間地下化に際し、適合する車両が少なかったためである。写真の2500系クハ2551は、3日前から営業運転を開始した長野電鉄にとって最新鋭機であった
2500系は、当初、屋根端は赤く塗られてなく、上までクリーム色だった
0系OSカーは、1966年製で、クハ50形+モハ0形の2輌1組となり、OS1とOS2の2編成が存在した。当時、地方私鉄としては、画期的な電車であった
1977年はまだ貨物輸送が行われていて、旧定山渓鉄道のED5002が、ED5100形5102として使用されていた。貨物輸送が終焉となった1979年に越後交通へ譲渡されている
長野電鉄生え抜き、昭和2年製のED5000形5001。ED5000形は、5001~5003と3輌が在籍していた。5002及び5003は、1979年に越後交通へ譲渡されたが、5001は長野電鉄で生き延び昨年まで在籍していたが、残念ながら解体されてしまった
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