1971年(昭和46年)の夏になると、釧路機関区でも蒸気機関車は少数派になり、C58を待っているとDE10に運用が変わっている事が多くなった。当時は、今のようなネット情報がなく、数か月前に発売された雑誌のみの情報での撮影だったので、完全無煙化の足音が近くなってくると、このような事が徐々に多くなっていった
根室本線厚岸~糸魚沢間で混合列車を牽引するDE10 35号機 1971年(昭和46年)8月
チライカリベツ川の湿地帯をいく釧路機関区のDE10 38号機
道外禁止の黄色帯の入ったワフ121000を牽くDE10。別寒辺牛(べかんべうし)湿原を行く
いずれの写真もC58を撮影するために待っていたらDE10が来てしまって、取り敢えずシャッターを切ったというもの。当時は、DE10の図面とにらめっこをする日が、それどころか、その模型を作る日が来るなど想像も出来なかった。あの時の自分に伝えられたら伝えたい「50年後にDE10の模型を作る事になるから、写真をもっと撮っておけば!」と
函館本線大沼駅を出発したDD51牽引の普通列車。D51、あわよくばC62を待っていたのだが・・・1973年(昭和48年)9月
C62の復活運転を含めると10回は渡道しているが、DLを撮影した写真はこの5枚のみであったという衝撃的事実が今回明らかになった 函館本線倶知安~小沢間をいくDD51 612 1973年(昭和48年)9月