昭和2年(1927年)、叔父は東京府立第一商業学校の修学旅行で当時の満州を訪れていて、と言うか、祖母からはそう聞かされていた。95年も前の話で本人も既に亡くなっており確認のしようもないのだが、その時の「絵はがき」が確かに残されていて、満州事変より4年前のまだゆったりとした満州が感じられる
絵はがきタイトル:北満の都 ハルピンの風光を集めて
現在の中華人民共和国黒竜江省の中心地で、ロシア人が建設した都市である。漢字では「哈爾濱」と書く
1909年(明治42年)に開店したロシア系百貨店「チューリン商会」。この当時、極東最大と言われた
「ハルピン埠頭区ウチヤストコーワヤ街」 同じ1909年には、ハルビン駅で伊藤博文が暗殺されている
ハルビンの街中にはロシア語が溢れていた。馬車がメインの市中では珍しい車を使った「乗合自動車」
「日本人小学校」も立派である
1905年の日露戦争による日露講和条約により、満州の鉄道経営権を取得した日本が設置した「ハルビン日本総領事館」
中国東北部の四大古刹の一つであり、現在も残っている「極楽寺」
1908年に竣工したロシア様式の教会がこの絵はがきでは紹介されていない。意図的なのか?