昭和2年(1927年)、叔父は東京府立第一商業学校の修学旅行で当時の満州を訪れていて、と言うか、祖母からはそう聞かされていた。95年も前の話で本人も既に亡くなっており確認のしようもないのだが、その時の「絵はがき」が確かに残されていて、満州事変より4年前のまだゆったりとした満州が感じられる

絵はがきタイトル:京城名勝絵葉書

京城は現在の「ソウル特別市」。そもそも京城とは「首都」や「王城」を指す言葉であったが、1910年(明治43年)の日本による韓国併合後、「漢城府」と呼ばれていた行政区域を「京城府」とした為、その後「京城」と呼ばれる時代があり、この昭和2年もその時代であった

「京城の象徴 南大門」 南大門(ナムデムン)は、城郭都市であった京城の南にある崇礼門(スンネムン)の通称である。ソウルの象徴であったが、2008年(平成20年)に放火により大部分が消失してしまい、2013年(平成25年)に再建されている

「景福宮 勤政殿」 勤政殿は、李氏朝鮮の王宮である景福宮の中心部にある正殿

ソウルらしくない風景だが「仏蘭西教会」とある。形からして現在の明洞(ミョンドン)聖堂のようだ。明洞聖堂は1898年に完成した韓国で最初に造られたレンガ造りの教会である

「漢江(ハンガン)に架けられた鉄道橋梁」 漢江鉄橋は1900年(明治33年)に竣工した漢江に架けられた最初の近代橋梁。朝鮮戦争で破壊されたが、1969年(昭和44年)に完全復旧されている

「朝鮮総督府」 朝鮮総督府は、1910年(明治43年)の韓国併合による朝鮮統治の為に設置された官庁であり、初代統監は伊藤博文。1996年(平成8年)に解体されるまで国会議事堂などに使用されていた

こちらも、統治政策の為に日本が設立した「朝鮮銀行本店」。建物は現在も「韓国銀行貨幣博物館」として残っているようである

同じく、統治政策の為に日本が設立した「朝鮮ホテル」

「京城市街の中心」 左に朝鮮銀行本店、左上に朝鮮ホテルが見える