当時の高松琴平電気鉄道は「電車の博物館」と言われる位に多彩な電車が走っていた。台車こそ広げられて前から見るとバランスを崩していたが、個性のある地方私鉄の電車達が頑張っていた

高松築港~片原町間をいく70形71。1950年に製造された東農鉄道駄知線のモハ101が前身。台車以外は地方私鉄の良い雰囲気を残している車両だ

片原町~瓦町間を行く750形750。前身は、備南電気鉄道(後の玉野市営電気鉄道)のモハ101。1965年より使用され2006年に廃車となったが、玉野市からラブコールがあり、里帰りが実現して静態保存となっている

750と編成を組むのは、これも個性的な860形870。西武鉄道モハ200が山形交通に譲渡されてモハ111となり、1975年に琴電に譲渡され870となった。山形交通に譲渡される際に2枚窓となったが、ガラス上部が奥に入った独特な顔になっている

留置中の315の脇を瓦町から出発する長尾線750形760。前身は、備南電気鉄道(後の玉野市営電気鉄道)のモハ102

瓦町駅に留置中の880形880。880は元々総武鉄道(後の東武野田線)用に1929年に作られたクハ1201で、1947年の琴電譲渡後に9000形910となり、1974年には電装化されて7000形730、さらに1983年には電装解除されて880形880となっている。波乱の車歴の後、2000年廃車

890形890は、1928年の川崎造船所製で所謂「川造タイプ」。上田丸子電鉄にも同じタイプが走っていた。西武鉄道モハ555が前身で、山形交通モハ4を経て1975年に琴電に入線。その際に貫通扉を設置したり、電装解除されて890となった。1998年廃車