昭和40年代、自動車の普及が進み、交通渋滞から日本各地では次々と市電が廃止となっていった。広島市でも路面電車の廃止、地下鉄の導入などが検討されていたのだが、1971年(昭和46年)、一転して「路面電車保護」という決断を下す。自動車メーカー「マツダ」(旧・東洋工業)のお膝元だけに英断である。その後、広島電鉄株式会社は廃止となった神戸市電、京都市電、京阪、西鉄等の車両を次々と購入し、「動く路面電車博物館」と言われるまでになった
1984年(昭和59年)、写真と形式図から1912年(大正元年)開業時の車両であった100形101を復元させた 2011年(平成23年)2月
台車と主要機器は、広島県立交通公園に保存されていた150形157号車のものを流用したとの事である。ビューゲルで集電しているが、ダミーのポールも付けられている
1988年(昭和63年)に、広島市の姉妹都市ドイツ・ハノーバー市から寄贈された200形238号車。センターパンタと2軸車輪からのオーバーハングした車体が特徴的
この車輌は、戦災車両の部品を利用して1950年(昭和25年)にドイツで造られたもので、広島に寄贈される前はドイツ路面電車博物館に保存されていた車両である。ちなみに同型の236号機は、今もドイツ路面電車博物館(現・ハノーバー路面電車博物館)に動態保存されている
70形76号車は、1959年(昭和34年)製のドイツ・ドルトムント市の市電で、1982年(昭和57年)に購入した3車体8軸の路面電車。撮影時は、ドイツビールの広告塗装のまま江波車庫内で保存車両となっていたが、翌年、スーパーのイートインスペースとして使用された後、現在はイオンモールに場所を移して保存、使用されているようである