昭和2年(1927年)、叔父は東京府立第一商業学校の修学旅行で当時の満州を訪れていて、と言うか、祖母からはそう聞かされていた。95年も前の話で本人も既に亡くなっており確認のしようもないのだが、その時の「絵はがき」が確かに残されていて、満州事変より4年前のまだゆったりとした満州が感じられる

タイトル:撫順大露天掘の実況

奉天(現・瀋陽)近くの露天掘りで有名な「撫順(ぶじゅん・中国読フーシュン)炭鉱」の絵はがき。最上部で蒸機機関車が無蓋車を牽引している

一面に張り巡らせた線路が凄い。炭鉱はロシアに占領されていたが日露戦争後の日露講和条約により、日本に引き継がれることとなり、この当時、南満洲鉄道株式会社が経営にあたっていた

露天掘りの規模は世界最大級で幅6km、長さ20kmにも及んでいた

掘削にはスチームショベルが活躍していたようだ

中央にインク・ラインが見える

ヤードのように線路が並んだ選炭場の外景