昭和2年(1927年)、叔父は東京府立第一商業学校の修学旅行で当時の満州を訪れていて、と言うか、祖母からはそう聞かされていた。95年も前の話で本人も既に亡くなっており確認のしようもないのだが、その時の「絵はがき」が確かに残されていて、満州事変より4年前のまだゆったりとした満州が感じられる
タイトル:大連名所絵葉書
大連(だいれん・中国読ターリエン)の山縣通り。広い道の真ん中を自転車が走っているのが奇妙。先の方には市電が見える
埠頭へと続く港橋(みなとばし)もかなりの広さだ
大連埠頭の第三埠頭。商船がびっちり停泊していて活気の溢れた埠頭。蒸機が(米国製か?)有蓋車を1輌牽引している
大連を出港する大阪商船の「ばいかる丸」
大連埠頭に停泊中の大阪商船「香港丸」
大連埠頭待合所玄関。たいそう立派な玄関である
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