1965年(昭和40年)、日本車両は松本電気鉄道向けにD型の40t機関車ED40 2号機を新製し、続いて翌年には、ED40 3号機を製造し納入している。当時の松本電気鉄道にはED30 1号機が在籍し、下一桁を通し番号としたため、新製された機関車は2号機、3号機と命名され、ED40 1号機というのは、存在しないこととなった

ED40は、ダム建設の資材運搬用に発注された為、ダム建設が終了した1969年(昭和44年)には早くも不要となり、1972年(昭和47年)には岳南鉄道に売却されている。私鉄向け電気機関車としては唯一無二のデザインである 2006年1月

岳南鉄道は東海道本線吉原駅から岳南江尾までの9.2kmを走っている貨物輸送を主力とした鉄道であった

貨物の積荷は、周辺のパルプ工場から出荷される紙製品。この頃は、ブルーに塗装されたワム80000がまだ残っていた

車体は丸みを帯びたデザインで、平面ガラスながらパノラミックウィンドウである。ただ、旧型電機の様にデッキが付いていて、乗り降りは前方のドアのみ。さらに、塗装がぶどう色1号と、何とも妙なアンバランス感が特徴のED40であった

この頃のED40 3は、日本大昭和板紙(現在は日本製紙板紙事業部)のコーポレイトカラーである黄色と赤に塗装され、写真を撮る気にもなれない装いであった

2012年(平成24年)に貨物業務が廃止されると、当然業績が悪化し、翌年には、鉄道部門が岳南鉄道から分社化されて「岳南電車」となり、現在に至ったいる