大連名所絵葉書」に登場した「ばいかる丸」。記憶にある名前だと思い調べてみました1960年代に当時一流のイラストレーターや漫画家が1冊づつ手掛けた絵本シリーズがありました。「ポニー・ブックス」と名付けられたシリーズの中にあったのは、サントリー社員中に「アンクル トリス」でブレイクし、独特なデザインで船を書き続けた柳原 良平氏が描いた「ばいかる丸」という絵本です

絵本「ばいかる丸」には、数奇な運命を生き抜いた1隻の貨客船の物語が描かれています(絵はポニーブックス「柳原良平*ばいかる丸」の表紙。ポニー・ブックスは数年前に岩崎書店から復刻版が出版されています)

1921年(大正10年)に竣工した「ばいかる丸」は処女航海から大連航路に就航し、花形の貨客船として活躍(以下の絵は「柳原良平*ばいかる丸」より転載)

大連埠頭待合所玄関の絵はがき

大連港の「ばいかる丸」。絵本には待合所の玄関も描かれています

1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると病院船となり、太平洋戦争時には兵員を運ぶ艤装病院船になりました。昭和20年には大分県姫島沖で機雷に接触し、沈没は免れたものの浅瀬に乗り上げて座礁。戦後は穴だけ塞いで大阪湾で係留され寄宿舎として使用されていたそうです

1949年(昭和24年)、極洋捕鯨株式会社(現・株式会社極洋)に買い取られ大改造を受けて、何と捕鯨母艦となりました(絵はポニーブックス「柳原良平*ばいかる丸」の裏表紙)。その後は、鯨肉を運ぶ冷凍船に改造され、遂に船名も「極星(きょくせい)丸」となってしまったそうです

戦時中も沈没を免れて生き抜いた「ばいかる丸」は、この絵本の出版時(1965年)には現役で活躍していたようです。現在は、間違いなくスクラップになってしまったと思われますが、確認は取れませんでした

横浜みなとみらい地区の日本丸メモリアルパークには、柳原良平アートミュージアムが併設されています