昭和40年代、自動車の普及が進み、交通渋滞から日本各地では次々と市電が廃止となっていった。広島市でも路面電車の廃止、地下鉄の導入などが検討されていたのだが、1971年(昭和46年)、一転して「路面電車保護」という決断を下す。自動車メーカー「マツダ」(旧・東洋工業)のお膝元だけに英断である。その後、広島電鉄株式会社は廃止となった神戸市電、京都市電、京阪、西鉄等の車両を次々と購入し、「動く路面電車博物館」と言われるまでになった

2011年(平成23年)2月、江波(えば)車庫を見学する機会をいただいた

150形156は、広島瓦斯電軌のE形車両で、後に形式変更され150形となった被爆車両の1台である

ライト周りが独特

1925年(大正14年)製。1952年(昭和27年)に車体を更新。1971年(昭和46年)に廃車となったが、1987年(昭和62年)に復籍となっている

1955年(昭和30年)製の550形551号車は、江波車庫の隅に廃車体の様になっていたが、2013年4月解体