東北本線松川駅は何度か訪れていて、この松川事件の「事件現場」となる松川~金谷川間では何度も写真を撮っていたので、その場所と事件の大まかな内容は分かっていた。秋の彼岸に事件の慰霊塔に献花をしていた親子連れを見て、フッと、事件の内容をもう一度振り返ってみたくなった

アメリカ軍占領下の1949年(昭和24年)に国鉄に絡んだ事件が相次いで起こっている。下山事件、三鷹事件、松川事件、予讃線事件等。下山事件以外は、何の責任もない方々が犠牲になっていて、明らかに無差別テロの様相を呈しているが、全ての事件が未解決のままである

松川事件とは、8月17日午前3時9分頃、写真奥よりSカーブを抜けて走って来た青森発上野行きの上り412列車が、このカーブのレールを止める犬釘が抜かれ、レールとレールを止めるボルトナットが外されていた為、牽引していたC51蒸気機関車と後ろの荷物車、郵便車、客車計5輌が、写真カーブ(写真中央下の慰霊碑がある地点)で脱線転覆し、乗務員3名が亡くなった事件である。この事件現場は今でも夜は真っ暗な所で、ひっそりと慰霊碑が線路脇に建立されているが、現在は下りの専用線となっている為、列車は手前から奥に向かって走るのみである

事故当時の写真。牽引機関車は、C51 133号機であった(ウィキペディアより転載)

現場から100m程離れてはいるが、後に造られた上り専用線の脇にも慰霊の記念塔が建立されている

事件の犯人として付近の工場に勤める労働組合員など20名が逮捕されたが、この後、この事件は戦後最大と言われる冤罪事件へと発展していき、裁判で全員の無罪が確定している。真実は今も「黒い霧」の中である