戦後、日本各地の私鉄用に規格化された電車が製造された。所謂、運輸省規格型電車である。長野電鉄には日本車両製のモハ1000形、1500形が入線した。

 

クハニ1062から改造されたクハ1062。運輸省規格型電車のモハ1000系。何の変哲もないデザインではあるが、良くまとまっている。そして、地方私鉄とは思えない長野電鉄のスマートな塗り分けは、当時の大手私鉄と比較しても遜色はないほど素晴らしい                                 1977年2月

 

クハ1551を先頭にしたモハ1000形3連が千曲川に架かる村山橋を渡る

 

桜沢駅に到着する長野行き普通電車、モハ604+モハ603

600系は川崎造船所の製造で、窓の位置が高く、屋根が深く、円弧を描くドア上の水切りなど独特なデザインの車輛だった。このモハ604は、1980年に廃車後、上田交通に譲渡されて電装解除しクハ270形クハ271となり制御車として使用されていた。1986年に廃車となり、再び長野電鉄に里帰りし、1990年に保存車両として小布施駅に静態保存されて安住の地を得たかにみえた。が、長野電鉄の顔ともいえる2000系が保存される事になると、保存場所から押し出され廃車車両置き場の様な信濃川田駅跡に移動となった。万事休すと思いきや、捨てる神あれば拾う神あり。今度は、長野県北安曇郡松川村の安曇野ちひろ公園に展示される事になり、「電車の教室」として2016年から公開されている。強運の持ち主のようなので、今度こそ安曇野が安住の地となってもらいたいものだ

 

モハ604と2連で使用されていた片割れのモハ603。こちらは強運の持ち主ではなかったようで1980年に廃車解体となった

 

「木島」の行先表示を付けて前夜からモハ1000系が留置されていた。冷え込む早朝から駅には人が次々とやって来る。それにしても、長い間、この写真は木島駅と思い込んでいたが、どう考えても違う様だ。はたして本当はどこの駅なのか?謎である。お分かりの方がいらしたら、是非ご教示いただきたい

サラリーマン、学生が並ぶホームに入って来たのは、長野行各駅停車の0系「OSカー」。自社発注の車輛で、文字通りOfficemen & Students Carの通勤通学電車。