1972年1月9日、電化間近の木曽谷でD51を撮った帰路、6時間の滞在ではあるが、飯山線に立ち寄った

前年の2月には、一面の雪景色だった替佐~蓮間だが、この年の1月には積雪ゼロ。そして、朝7時過ぎにやって来る1日1本の客車列車は、8620ではなくC56牽引に代わっていた

流石に上桑名川まで来ると、それなりの雪景色となった。当日、上野から「戸狩スキー号」という客車急行があり、長野から飯山線内は快速列車となるものの桑名川まで直通運転される列車があった。木曽福島機関区のC12 199号機が冬の出稼ぎ出張なのかどうか分からないが、その列車牽引の仕業についていた

199号機はC12では珍しく除煙板(デフレクター)が装着されていた機関車で、現在も、木曽の奈良井宿で保存されている。白黒写真だと余り目立たないが、当時、ボイラー、デフ前部は、トラ塗りになっていた

帰りは、桑名川から上野行の「戸狩スキー1号」に乗車した。長野からは「急行」になるものの取り換えなしで大宮まで帰れるという。桑名川13時00分発で、大宮18時33分着、何と5時間33分の客車旅であった