川越線の終着駅「高麗川(こまがわ)」がある八高線は、名前の通り八王子と高崎を結んでいる路線で、1969年(昭和44年)当時はD51、C58、9600が貨物列車を牽引していて、特に高麗川~東飯能間は勾配もあり、SLファンには人気スポットとなっていた

高麗川に機関区はなかったが、高崎や八王子のD51、大宮の9600などが常に停車していた

高麗川を出て東飯能に向かうと、しばらく畑が続く D51 817号機(高崎第一)

畑が終わるとカーブを切って丘陵地帯に入り切り通しとなる。貨物列車後方のカーブは、1947年(昭和22年)に死者184人、重軽傷者570人を出した「八高線脱線転覆事故」の現場。森の奥にセメント工場の煙が上る D51 920(新鶴見)

鹿山峠を越えるのは、D51重連が多かった D51 670(八王子)+D51

石灰石を満載して絶気で下ってきたD51 207号機(八王子)+D51

バック運転で峠を登るD51 207号機(八王子)