大正時代からナロー規格で運行されていた栗原軌道は、1955年(昭和30年)1067mmに改軌して、「栗原電鉄」と社名変更した。ただ、1976年(昭和51年)をピークに収益は減少の一途をたどり、1993年(平成5年)には第三セクター鉄道となり、さらに1995年には電化を廃止して気動車を導入、社名を「くりはら田園鉄道」と変更した。社名の通り田園地帯を走っている為収益の増加は望みようもなく、ついに2007年(平成19年)、廃止となってしまった

DB101は石越駅で入れ替え作業をしていた入れ替え機で、こんな形で「くりでんミュージアム」の保存機として残るとは夢にも思わなかった 2018年(平成30年)5月

ワフ7形71~74は1914年(大正3年)製の武蔵野鉄道緩急車である。写真は細倉にて撮影したワフ73 1974年(昭和49年)12月

くりでんミュージアムにはワフ7形74が残った 2018年(平成30年)5月

2010年(平成22年)9月にはこんな感じで、覆い屋根がなければ不安になる状態。Hゴムの窓が何とも残念だ

ト10形101~103は、さらに古く1907年(明治40年)製で、エアーブレーキ装置が付いていない。くりでんミュージアムには、102と103が残されている 2010年9月