この頃、川越線は基本的にキハ30・35による運行であったが、朝夕の通勤通学時間には9600牽引の客車列車が1日1往復走っていた。朝の上りの822列車は、高麗川を6時25分発、大宮到着が7時27分であった 59669  指扇~日進間 1969年(昭和44年)

雪の朝の49613。どの駅もホームの中央部に駅舎があった為、荷物の積み下ろしと運搬が楽な様に、編成の真ん中に荷物と2等の合造車が入っていた 指扇~日進間

夕方は、大宮駅17時50分発の下り821列車。通勤客には少し早い時間帯の設定で、終点高麗川には、18時32分の到着であった 9687 大宮~日進間

大宮駅の川越線ホームを出発した821列車。このポイントで大宮駅からの客車列車と操車場から来る貨物列車が合流していた 29683

夏は18時を過ぎていても821列車には、正面から西日が当たっている。川越線の蒸機のテンダーにも労働組合のアジ看板文字が書かれるようになり、悲しかった記憶がある 日進~指扇間

日進~指扇間の切り通しを行く821列車 29697