昭和2年(1927年)、叔父は東京府立第一商業学校の修学旅行で当時の満州を訪れていて、と言うか、祖母からはそう聞かされていた。95年も前の話で本人も既に亡くなっており確認のしようもないのだが、その時の「絵はがき」が確かに残されていて、満州事変より4年前のまだゆったりとした満州が感じられる
絵はがきタイトル:奉天
かつて清朝の都として栄えた奉天(ほうてん、満州語ではムクデン)である。現在は瀋陽市となっている
1919年(大正8年)の奉天(ウィキペディアより転載)。紫色の地域が奉天城。赤色は満州鉄道付属地
「奉天城内全景」。北京紫禁城の様に黄色い屋根が広がっていると思われる。中心部は現在も「瀋陽故宮」という博物館として残っている
立派な奉天城城壁。外を標準軌道の路面電車が走っている
「洋館が並ぶ千代田通り」とある
一転してこちらは中国風の「東轅門」。衛兵が立っている
何もない広大な駅前広場を持つ南満州鉄道(満鉄)奉天駅
「現代的な満鉄公所」と書いてあるが、当時は「現代的」であったのだろう。公所とは言うものの、実は、満鉄の秘密情報収集機関であったと言われる
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