十和田観光電鉄線は、東北本線(現在の青い森鉄道)の三沢駅から十和田市までの14.7kmを結んでいた。十和田市とは言うものの観光地「十和田湖」とはかなり離れていて、観光客の乗車は余り期待できず、乗客の減少が続いていたところに東日本大震災が発生し、赤字に拍車をかけられた状態になり、さらに、地元自治体への支援要請も拒否されて、2012年(平成24年)に呆気なく廃線となってしまった

モハ1200形モハ1207は、1970年(昭和45年)に既に廃線となっていた定山渓鉄道から購入。日本車輌東京支店が製造した、所謂、日車標準である。前が見えないような汚れた窓で運転していたが、ワイパー位置で分かるように、運転席が右側という変わり種 1974年(昭和49年)

モハ1200形モハ1207のパンタグラフ碍子は、横碍子

十和田市駅に停車中のモハ3800形モハ3811 1998年(平成10年)8月 

モハ3800形モハ3811は東急電鉄デハ3802を購入し両運転台化した車両  1998年(平成10年)8月

モハ3800形モハ3811の相方は、1962年(昭和32年)川崎車両製の自社発注車両クハ4400形クハ4406 1998年(平成10年)8月

人工河川の疎水として知られる稲生(いなお)川と並行して走る 古里駅にて 1998年(平成10年)8月

1955年(昭和30年)に帝国車両に自社発注した生え抜きの電動車モハ3400形モハ3401 2008年(平成20年)5月

1990年(平成2年)に東急電鉄デハ3650形3655を譲渡され、モハ3600形モハ3603として使用していた

2002年(平成14年)にグリーン塗装に戻されている 2008年(平成20年)5月

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