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C62 3試運転 1988

1973年に函館本線からC62が消えて13年後の1986年。北海道鉄道記念館に保存されていたC62 3号機を動態復元しようという話が持ち上がった。そして、2年後の1988年4月29日、15年振りにC62が運転を再開した …

北海道 1973年秋

1973年は3月に続いて9月にも北海道に渡っている。ただ、世間ではこの時期からSL狂騒曲が鳴り響き、鉄道雑誌は撮影地ガイドと化し、それに伴ってファンの人数が多くなれば自ずとモラルに欠ける輩も出現し出して不快な事も多くなり …

電化直前の木曽路

中央西線が電化される前年の1972年1月、信州周遊券を使用して木曽に入った。予想を遥かに上回る立派な架線中が既に立ち並び、ビームこそまだ付いていないが、写真を撮る気力も失せる程であった 架線柱が立ち並ぶ上松駅構内で待機中 …

国鉄大宮工場の入替機 1968

1960年代、国鉄大宮工場では3輌のタンク機関車が入替用に働いていた。C11 322号機、C12 29号機、C12 85号機である C11 322は、戦時型の角ドームを装備していた そして、煙突の前に鐘が装備されていた。 …

デフ付きのC12 199

1972年1月9日、電化間近の木曽谷でD51を撮った帰路、6時間の滞在ではあるが、飯山線に立ち寄った 前年の2月には、一面の雪景色だった替佐~蓮間だが、この年の1月には積雪ゼロ。そして、朝7時過ぎにやって来る1日1本の客 …

飯山線 1971年2月

1971年、上野22時59分発直江津行普通列車341レで長野へ入った。長野2月6日5時26分着。長野から飯山線に乗り換え、替佐(かえさ)駅下車。初めて見る飯山線の雪景色である 飯山線と言えばC56が有名だが、当時は、朝1 …

1971北海道1

1971年8月は、3度目の北海道となったが、以前の様に夜行列車の連続ではなく、ユースホステルに宿泊する事も旅の目的となり、必然的に撮影枚数が少なくなった 小沢~倶知安間をパワー全開で走行するC62重連の急行「ニセコ」。前 …

1970年夏の北海道 その2

函館発札幌行きの急行「ニセコ」は、函館からC62が牽引し、長万部から山線となるため、前補機としてC62が連結され、日本最大の蒸気機関車2台による重連運転が展開された。このC62による急行「ニセコ」の牽引は1968年10月 …

1970年夏の北海道 その1

1970年8月、友人からアサヒペンタックスSPと望遠レンズを譲り受け、2度目の北海道旅行に出かけた。初めて手にした望遠レンズが余程嬉しかったのか、望遠レンズを多用した写真が多く、今見返すと少々ウンザリである 宗谷本線南稚 …

奥羽本線 津軽湯の沢

奥羽本線の大舘と弘前の間にある矢立峠は、今も勾配が続く難所である。その峠の陣馬駅と碇ヶ関(いかりがせき)駅の間に津軽湯の沢駅はあった。1970年11月5日に矢立峠のトンネルが完成し、津軽湯の沢駅を含む旧線区間が廃止になる …

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